●葉加瀬太郎さんのライブに、行って来ました。(*^ー^)ノ

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日立製作所さんからの、

招待券を頂きましたので…
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●能登半島で、田舎暮らし…
19:00からのライブに…

行って来ました。
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オーバードホール

(*^ー^ )ノ
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今日のライブで、

葉加瀬太郎さんが、

「一滴の水は、自分が大河である事を知らない」

「大樹の一つの細胞は、自分が大樹であることを分からない」

…誰の言葉だといってたかなぁ

ジュールベルグだったか…

A=´、`=)ゞ

でも、禅語で「曹源一滴水」
(そうげんのいってきすい)って、言葉があります。


一滴の水が山から流れると、

そこに小川を作り大河となってやがて天下を潤す。


日本にあるたくさんの禅の宗派をたどると、

中国・曹渓の上流に住んだ慧能禅師(638~713。唐の人)にたどりつきます。


この川の源流を曹源ということから、

今日ここまで広く繁栄した慧能の仏法を「曹源の一滴水」といいます。


たった一滴の水が大河になっていく様は、

たった一人の説法が弟子から弟子へと伝承され、

やがて世界に伝わり人々を救済する様と重なります。


一滴の水を大切に。

一滴だからと粗末にせず、

一滴だからといじけることなく、

その一滴水は大海の源泉になるかもしれないのです。


森の樹木を救うかもしれないのです。


一滴水には、とてつもない可能性がある。

人間1人には、とてつもない可能性がある。

繁栄の言葉としてよく使われます。


志賀直哉「大河の一滴」は、


「人間が出来て、何千万年になるか知らないが、
 その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。


 私もその一人として生まれ、今生きているのだが、
 例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、


 その一滴は後にも前にもこの私だけで、
 何万年溯っても私はいず、
 何万年経っても再び生まれては来ないのだ。


 しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。
 それで差支えないのだ。」


『大河の一滴』(五木寛之著)では、
五木氏は、我々人間はちっぽけな存在に過ぎず、

それは例えるなら草の葉の上の一滴の露だと…


 一滴の露は森の湿った土に吸いこまれ、

そして地下の水脈は地上に出て小さな流れとなり、

やがては渓流となり、大河に合流する。


海は濁った水も、汚染された水も、全ての水を差別なく受け入れ、

やがて太陽の光に熱せられ、

蒸発して雲となり、再び雨となって地上に注ぐ。


 人間など生命が生まれて死ぬまでの一生を

五木氏は、そのようなイメージで捉える。


人間の一生は大河の一滴であり、

それは一滴の水に過ぎないが、

大きな流れを形作る一滴であり、


永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部なのだと言う。

●能登半島で、田舎暮らし…
とにかく、

ライブは、とても良かったです。

ヾ(@^(∞)^@)ノ

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