●高峰譲吉…、石川県の誇る偉大な方だった…(-。-;)

高峰譲吉 (たかみね じょうきち )先生は、

なんと…、石川県出身の世界的な工学薬学博士でした。

通称”侍科学者”と呼ばれ…

1900年代初頭のアメリカにとって、まさに日本の顔


科学者で、医学博士で、実業家で、日本政府の役人で、日米親善特使。


先だって亡くなられたソニーの盛田さん以前に

日本とアメリカを民間から繋ぐという実業文化人が


石川県出身の高嶺譲吉先生だったとは、

能登原人の見識が浅いにも程があると反省しました。


12歳で加賀藩から選ばれて長崎で英語を学び、イギリスに留学。

帰国後、農商務省で肥料などの菌の研究を続け、

日本で最初の人造肥料を製造したとの事。


さらに、ウイスキーの製造に関する高峰式ウイスキー醸造法を確立。

アメリカ大手のウイスキートラスト社の招きで、渡米しシカゴへ渡り、


シカゴで新しい醸造法によるウイスキーの量産化に取り組んだものの…

アメリカの労働者、投資家、

他のウイスキー業者から大きく事業を妨害され、


工場のオープンの日に、工場に火をつけられ

その大半が燃えて、断念したのです。


そこにも桜の木が植えられていたとの事でしたが


ウイスキー製造の夢は断たれて、化学の研究に没頭。

妻キャロライン(記録に残された日本人と米国人の最初の結婚)が生計を支え。


ウイスキー造りの経験からヒントを得て、モルトからデンプンを分解する酵素(ジアスターゼ)を取り出し、

消化を助ける薬を作り出した。


譲吉の取り出した消化酵素が「タカジアスターゼ」(日本で始めてアメリカの特許を取得)。

ハーバード大学の後ろ盾を得て、世界的な販売で大成功を収め

巨万の富を築いた、最初のアメリカンドリームの日本人だったわけです。


日本だけは日本人の手で販売したいと、三共製薬を設立して初代の社長に就任。

これが、「三共胃腸薬」の生い立ちだったなんて…すごい。


1900年、さらには、ホルモンの結晶を世界ではじめて取り出し、

アドレナリンと命名。

アドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ、医学の発展に大きく貢献。

アドレナリンは、内科、外科だけでなく、あらゆる医学分野で用いられるようになり

20世紀医学の基礎となったわけです。


高峰譲吉先生は、タカジアスターゼとアドレナリンの発見で世界的な名声を勝ち得たばかりではなく、

アメリカで超有名な石川県人だったんですね。


1904年に、日露戦争がはじまると、

アメリカの世論は親日と反日の真っ二つに分かれました。


アメリカは、ロシア人の移民が多かったのですが、

彼等は、旧ロシア帝政(ロシア人)からポグロムという

ユダヤ人迫害で逃れてきた、ロシア系ユダヤ人です。


そのような背景から、

ウォール街のユダヤ人資産家たちは、

ユダヤ人を迫害してきたロシア帝政に恨みを持っており、

日本の国債を買い取り、日本を支援してくれる者がたくさんいたとの事。


ウォール街のユダヤ財閥であるヤコブ・シフに、日本の国債買い取りの話を持ちかけたのも

高峰譲吉先生の功績で、

ユダヤ人社会での親日世論を高めたのも

高峰譲吉先生によるところが大変大きかったとの事。


また、高峰譲吉先生のハーバード大学時代の同級生に、

なんと…、時の大統領である、ルーズベルトがおり、


講和に向けてルーズベルト大統領までを説得したとの事。

こうして日米の親善外交に尽力をつくした石川県人の高峰譲吉先生は、

日本にとっては国の宝というべき人物だったのですね。

第一次世界大戦の終結の後、国際主導権の取り決めが

1922年、ワシントンで開かれ


日本に帰国し余生を石川県の田舎でゆっくり過ごそうと思っていた高峰譲吉先生でしたが、

日本親善を最大目的としてワシントン会議に出席することを日本政府より依頼され、


高峰譲吉先生のパイプラインである

アメリカの政府高官や財界、政界の有力者たちを、

日本の使節団に紹介して周り


死力を尽くしたワシントン会議の後、

高峰譲吉先生は還らぬ人となったと映画で結んでいました。

しかも高峰譲吉先生の葬儀は、ニューヨーク中心にある、セントパトリック教会でとり行われ

日本人葬儀もはじめてなら、

国歌の「君が代」がセントパトリック教会で唄われたのもはじめてのことだったとの事。


高峰譲吉先生の伝説は、

当時の東京都知事尾崎行雄と共に、

私財を出してワシントンとニューヨークに桜の木を

2千本ずつ送ったことでも有名で、これが「TAKAMINE」の映画のストーリーでした。


あの有名なワシントンDCポトマックリバーのソメイヨシノと八重桜

見たことがあります。

でも、石川県人の高峰譲吉先生が植えたものだったなんて

A=´、`=)ゞ知らなかった…

しかもニューヨークのイースト川沿い、

ルーズベルトアイランドの桜も植えたとの事。


さらに、 ニューヨークの日本クラブは、高峰譲吉先生が初代会長で設立され

ニューヨークの日本人コミュニティーを作ったなんて

σ(^_^;)凄いにもほどがあります。


現在のニューヨーク日本人社会があるのも高峰譲吉先生の

功績といっても過言ではないという事らしいです。


とにかく…、

あまりにも凄すぎて、言葉になりません。

石川県人だけでなく、日本人は…

この事実を知り「TAKAMINE」という映画を観るべきだと…


真剣に思っている能登原人なのでした。

( ´艸`)

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1 COMMENT

吟遊詩人

石川県では確か優秀な理系の学生(高校生か中学生か?)に高峰賞を授与していたと記憶しています。アドレナリンが止血に使われるとは知りませんでした。アドレナリンって興奮作用があるというのではありませんでしたか。ということは内臓出血などで止血にアドレナリンを使うとあとで怒りっぽくなったりするのでしょうかね?ごめんなさい、ほとんどつぶやきになってしまいました。能登は星がとても大きくみえるんですよね。

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