「忘筌」(ぼうせん)という禅語の由来は、
「荘子」の
「魚を得て筌(せん)を忘る」からきているとのこと。
(-“”-;)
「筌」とは魚を捕るための
細長い籠のことで、
(今は、先に網の付いたタモ?でしょうか…)
本来「魚を手に入れたら、道具はもう必要ない」訳です。
でも、道具を大切にするあまり…
その道具を使って行う本来の目的を
おろそかにしてまうのは、駄目だという事。
(^_^;)
「何が目的で、何が手段なのか、
間違いのないように注意しなさい」という教え。
受注して、一生懸命に…
機械を作るのですが、善意で良い物にして
つくり上げようとするあまり
納期が遅れる事になったり、
性能を向上させたから…などと、
つい、コストなどの重要な事を
見失いがちです。(ノ_-。)
見積仕様に基づいて、
造っていくのですが…、
どんどん、要望が出て来て…σ(^_^;)
時間や、コストを重視しなくなって
言い訳しちゃうのです。
昔の漁師たちは、
魚を捕る道具の「筌」も自分で作っていたので、
過剰に大切にしていた人が多かったのでしょうが
(-“-;A
目的と手段を、取り違えることないように
教えたのではないでしょうか。
「茶の湯とはただ湯を沸かし、
茶を点てて飲むばかりなる事を知るべし」
これは、千利休の言葉。
(^ε^)♪
つい…、本来の目的を
忘れていないつもりで、
過程や、道具…、システムや物に固執して
その為に、本来の目的が達成できない事を
(-“”-;) やってしまいがちの機械屋です。
棒線を引いて、防戦しなければ…
本来の目的が、達成されないばかりか
会社も自分も、大変な事になってしまいます。
(w_-;
今日のカレンダーに、
「少し飲み、そして早くから休む事だ
これは世界的な万能薬だ」との事。
…決して、飲んだくれなさいとの
意味ではありません。(^_^;)
■「筌(せん)は魚(うお)に在(あ)る
所以(ゆえん)、魚を得て筌を忘る。」
「筌」は細い割竹で作った魚を捕らえる道具。
即ち、川に仕掛ける筌は、魚をとるための道具であり、魚をとってしまえば、無用の長物となります。
言葉や文字は、意、即ち心のあり方を説明する手段道具でしかないはずなのに、言葉や文字を余りに重用しすぎて、「意」をないがしろにしている…
あくまでも筌は魚をとるための道具であり、言は意を伝える手段でしかないのです。
「何が目的で、何が手段なのか、間違いのないように注意せよ」というわけです。
鈴鹿8耐…、ゴールだなぁ…
俺のゴールは、何処なんだ?(^_^;)
記事拝見させて頂きました♪また、読ませて頂きます☆次の更新も楽しみにしています♪